最近、私と似たような経験をされてサトッた方の、本や動画にたどり着く事がありました
なんだか…私と少し雰囲気が似ているような気が…
言葉の端々の隠せないスパルタ感(笑)
でも分かります、どうしてそういう風に見えるのか。
サトルと自我が本当に少なくなるのです。
だから逆に「何がエゴか」に気づきやすい。
例えばカウンセリングの時など、ご本人が問題と思っているお話の内容の詳細よりも
そもそものエゴの問題では?ということがハッキリ分かる時があります。
単純にそのエゴに気づいてもらって、修正をかければ、すぐに手放せないものであっても、一度フォーカスしたことで随分結果が良くなると分かるのです。
でも…
エゴって、耳の痛い話なのです。
御本人は出来れば聞きたくない、認めたくない。というような…
しかし、教えて差しあげる事で、この人は必ず良い方に変化するんだよな〜という確信がある場合…
『ふ~っ』とため息一つついて
「これでお会いするの最後になるかもな…」と思いつつ
意を決して申し上げることがあります。
すぐにエゴの抵抗を受けることもあれば( ;∀;)
ハッとされて、それを呼び水に御本人の力で、みるみる気づきを得られる方もおいでです。
そう、「厳しい」のではないのです。
言葉に感情を乗せたりしませんし、淡々と申し上げています。
いやむしろ『愛』なのです。
でも耳の痛い話は『塩対応』と取られることが多いかもしれません 。
しかし例えば同じ話を別の方にしたとします。
その方は微塵も、気にかけたりしません。
その方のエゴとは違うものなので。
的確であればあるほど、一つの単語でエゴは敏感に反応してきます。
手強いのです〜
実は言う本人は言われた人よりも、10倍、いや、100倍傷ついているんですよ💦
そりゃ出来れば言いたくない
まさに心を鬼にして…なのです
もちろんそのようなご指摘はお代を頂いたカウンセリングの時だけ、
しかも希望者のみにしています。
自分自身は…
気がつくとエゴをご指摘下さる方を、自ら無意識に引き寄せていたりします(笑)
という勇者魂も持ち合わせております!(^^)!
~感謝~