サトったらすること

蓮の花 ブログ

「サトル」ことは特別なことでも、凄い事でもありません。
望めば、決めれば、誰でも悟ることが出来ます。

しかし、大抵の人は気づいていませんが潜在意識の領域で「サトル」を拒否しています。

何故か・・・

サトリは生まれてからそれまでの間、自分を守るように身につけてきた
「自我」を一度崩壊させなければならないからです。
自我は必死に自らを崩壊させないように頑張りますので、強烈な抵抗にあいます。

私はがんを患ったことをきっかけに、治療中から三年間「生と死」について深い内観に入りました。
テレビもパソコンも、人との付き合いも一切せずにとにかく内観を続けました。
そうしてある日稲妻が脳天を直撃するような衝撃を受け、その瞬間に「全てわかった」の境地になりました。

当時は何が何だか分かりませんでしたが、三年間圧縮され続けた自我が崩壊した瞬間だという事が今なら分かります。ちょうど自我という風船がパチンと弾けたように
通常は一歩一歩確実に目覚めていくものなのでしょうが、私はちょっと珍しいケースで「悟り」へワープした人だという事が出来るかもしれません。

ちなみに自我が崩壊したら、現在は自我がない状態で生きているのですか?
という疑問が起こると思います。

とんでもない事です(笑)
サトっても煩悩はつきまとい、人として生きていけば自我は常に新しく形成されていきます。
ただし、自分の意志によって作られた自我を壊しながら進むを日々繰り返すという意識で生きています。
ですから、状況を知らない人にはよく「修行好き」と言われます(笑)



サトったら何を目指すのか?
それは「魂の成長」に他なりません。
そのために悟ったらするべきことは…

学ぶ
実践する
内観する
運動する
継続する

これを永遠にやり続けるのです。
その中で、今自分にある自我の破壊の方法が見えてきます。
そこにひるまず自ら飛び込んで、その壁を越えていくことでまた一つ魂の成長があります。

華厳経によると悟りの扉は52段。頂点はもちろん仏陀、お釈迦様ですが、
そこに当てはめると私は扉を開けたばかりの一段目で必死に励んでいるところです。

最初に悟りの扉を開けた瞬間の感想は
「エライところに来てしまった」でしたから、その直感は当たっていたと思います。

それでもサトったならば、サトった人間の役割がきっとあります。
これからサトリを目指す人、私の様に事故的に悟ってしまった人のお支えをすることです。

とてもニッチで、需要があるとはとても思えないのですが(笑)
必要がある時にご縁は結ばれるでしょう。
その時のために発信し続けます。

サトルもよし
サトラヌもよし
誰もが安心安全で安寧を生きていけますように。

~感謝~」