一瞥体験者と霊能力者の違い②

大丈夫だよ~叡智は光の中にある~

一瞥体験後、数人の霊能力を持つ方とお会いしました。
私の身に一体何が起きたのか、せめてその答えのヒントはどこかにないものか、とその後もしばらく摸索していたからです。


その方たちを見ていて、ある時ふと『チャネリングってなんだろう?』と疑問に感じている自分がいることに気がつきました。
異次元のものに繋がる作業によって答えを導き出す霊能力者たちを見て、『凄い能力だな。でもやっぱり何か私とは違う、何故だろう』と思ったのです。

ここで、霊能力者と一瞥体験者について整理させて下さい。

【私の考える霊能力者とは】
✾霊的な情報を「受信・仲介する」能力のある人。霊・守護神・先祖など特定の霊的存在と繋がり交信し、その情報を人に伝える人。
✾感覚器官の拡張。視える、聞こえる、感じるの五感を超えた受信能力を持つ人。
✾その能力は生まれつきの素質や家系による事が多い。稀に修行などによって後天的に開く。

【一瞥体験者】
✾能力ではなく意識の変容。受信する「チャンネル」があるのではなく、大元の意識と一体化した体験により、意識そのものが変質している。
✾視えない、聞こえない、でも『分かる』
✾意図せず突然起きる。逆を言えば意図しても起きない。選べない。

このように一瞥体験者は、大元に帰れば意識は一つということを『知って』しまっています。一度知ってしまうともう戻れないのです。
そういうわけで霊能力者の、「外」に繋がり答えを導き出す構造に二元性を感じ、それが「自分と違う」と感じたのだと思います。

もっとシンプルにいうと、
霊能者は「繋がれる人」
一瞥体験者は「繋がってしまった人」

電話で例えるなら
霊能者は「電話で異次元と繋がる事ができる人」
一瞥体験者は「電話する前に相手のそばに既にいる人」
という風に形容出来るかもしれません。

また他にももう一点、決定的に違いを感じた点があります。
それは、『エゴ』が消失していないと感じた点でした。
どのような場面でそう感じたのかと言うと、霊能力者に人間が持つエゴ『優越感、損得勘定、マウント、批判否定』や『自己愛の欠落、癒されていない様子、死への恐怖』を垣間見た時でした。
前者は外に向かうエゴ、後者は内に向かうエゴと言えると思いますが、どちらも根っこは同じで、自己と他者の境界線がまだ強くある状態です。
特別であろうとする事も、傷ついたままでいることも、どちらも「自分」という輪郭が強く残っている、と言えると思います。

エゴが悪いと言っているのではありません。『なぜエゴがあっても霊能力が発揮出来るのだろう?』と不思議に思ったのです。

一瞥体験は『自分』という輪郭が一瞬でも溶けた体験です。その時にエゴが残っていれば、一瞥体験ではないとも言えると思います。
では、一瞥体験者にはその後もエゴは全く無いのか?と疑問に思われると思います。答えは『エゴはあります』。
この世の社会構造の中で社会生活を営む人間ですから、エゴは様々な形で『湧いて』きます。
しかし一瞥体験者は一度エゴが全崩壊した状態を『知って』います。
ですから、他の人よりも瞬時に沸いてきたエゴをエゴと認識し、『湧いては払い、湧いては払い』を繰り返しています。
それにより永続的にエゴから来る感情が残ることは『ない』と言ってもいいかもしれません。

まとめると
「霊能力者」(霊能力がない人と同じように)エゴを持ったまま異次元と繋がれる能力。
「一瞥体験者」はエゴが溶けて異次元と一つになった体験によって異次元と繋がってしまった能力。

という大きな違いがあると思います。
どちらが良い・悪い、優・劣ということではありません。
これは霊能力の有り無しに関わらず全ての人において言えることですが、人間は誰しもそれぞれの使命と必然性をもってその「状態」で生きています。
各々が『不足』のない『完璧』な状態にすでに『ある』いうことに気づいていただけたらと思います。

そして全人口の数%かもしれませんが私と同じ経験をして「自分はどうなってしまったのか」と思い悩む方がいたらご参考いただけたら嬉しいと思います。

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